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なぜ、細木数子氏は現代に蘇るのか。

  • 5月14日
  • 読了時間: 6分

更新日:5月17日

【占い師の母親から見た細木数子】

僕の母親は占い師でした。


姓名判断をして、お客様の名前を改名して、30万円とかもらっていました。

どこに頼んだのか、捨て看板を大量に発注して神奈川県内一円を対象に、飛び込みのお客様を相手にする商売をしていました。


さほど儲かっているようには思えませんでした。


それでも身内の自分から見ても遠からず当たっているかなという件が多々あり、一定のお客がついていました。


そんな僕の母に妻が「細木数子ってどう思いますか」と尋ねたところ、母は「占いの内容がどうこうというよりも、圧倒的な人生経験から裏打ちされるアドバイスに説得力があるから客に信頼される」と感心していたということです。




【Netflixとテレビの違い】

細木数子氏の「壮絶な人生経験」を描いたNetflixのドラマ『地獄に堕ちるわよ』。


このドラマでは「事実に基づいた虚構」を標ぼうしています。


事実に基づいた虚構とは何なのか。


いみじくも元日本テレビプロデューサーの土屋敏男さんがSNS上に「細木サイドの了解がよく取れたな」と投稿されていましたが、まさにこのドラマの本質が凝縮されています。


Netflixとテレビの大きな違い。


それは「配信」か「放送」か。


自主的な規制か、国からの免許事業か。


これが番組コンテンツの内容に大きく影響します。


10年前の衆議院予算委員会で、今の高市総理(当時は総務大臣)は、政府が放送局に対し放送法4条違反を理由に電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性に言及しました。


当時は報道・表現の自由を萎縮させるなどとして弁護士会などから発言の撤回を求める動きなどもありましたが、制度上は国がテレビの電波を止めることができる権限を有しています。


このため、一般のテレビ局、少なくとも私の勤務していたフジテレビでは放送行政対策として、僕が政経部記者のときは郵政省に、そしてその後は総務省にわざわざ記者を張り付けて役所や大臣のご機嫌を損なわないように配慮していたものです。


また、放送倫理・番組向上機構(いわゆるBPO)に抵触しないか、番組制作者ならば配慮しなければなりません。


最近、フジテレビの後輩が社内でSNSの投稿に関して咎められたようで「リスクのマイナス効果にだけ怯えて、当たり障りのないものをのみが正義と・・・これじゃつまらないものしか生み出せないよ。相互監視社会の言論統制みたいな住みにくさがある。」と嘆いておりました。


コンプラ違反で辛酸をなめたフジテレビだから、というのもあるのかもしれません。


ただ、他の局でもスポンサーからのクレーム、名誉毀損リスクなど製作者たちは、常にビクビク気を使わねばならない環境に置かれています。

【Netflixは無敵なのか】

このようにオールドメディアとされているテレビ局はあれこれ縛りがありますが、Netflixは「放送」ではなく「配信」のため、放送法や電波法を遵守するという制約はありません。


ただし、Netflixに配信上の制約が全くないかと言えばそんなことはありません。


事実に基づいている(真実である)場合であっても、それが他人の社会的評価を低下させる内容であれば、名誉毀損は成立します。


例えば、三島由紀夫さんの『宴のあと事件』(1964年)、柳美里さんの『石に泳ぐ魚事件』(2002年)など。


特定の人をモデルに行き過ぎた表現があれば、プライバシーや名誉権を侵害したとして損害賠償の支払いが命じられるリスクがあります。


ちなみに、宴のあと事件での賠償金は80万円、石に泳ぐ魚事件での賠償金は130万円。


Netflixの制作費は、日本の地上波ドラマ(1話2,000万〜3,000万円)の数倍〜数十倍に達し、オリジナル作品は1話あたり1億円以上が標準的な相場のようです。


週刊誌が多少の訴訟リスクを背負ってもひるまず賠償金をはるかに上回る利益でビジネスモデルとして成立しているように、Netflixは放送法や電波法に加えて、訴訟リスクさえ恐れずに、番組作りに聖域を設けないで突き進むことができる環境にあります。


【ドキュメンタリーに演出はどこまで許されるのか】

事実をベースにしてヒットした映画としては例えば映画『フラガール』があります。


つぶれかけた炭鉱を地域の生き残りをかけて常磐ハワイアンセンターを立ち上げ地域の起死回生を描いた作品です。


映画ではフラダンスやフラガールを核に、地域再生を図ろうとするものの、そこには抵抗勢力が登場して主人公の行く手を阻もうとします。


しかし、この映画のラインプロデューサーだった祷映さんに聞けば「実際、抵抗勢力は存在しなくて、それでは話が面白くないから抵抗勢力を演出した」と話していました。


100%果汁のオレンジジュースより10%程度の方が甘くて飲みやすくなるように、ドキュメンタリーにおいて、多少の演出が入ったとしても、作り手が伝えたい本質がよりよく伝わるのであれば歴史を歪めたとしても映像の技法としては有効と言えます。

【配信だからできる突き抜けた演出】

それでは、ドラマや映画で事実に基づいた虚構は何パーセントまで許されるのか。


ドラマ『地獄に堕ちるわよ』について、ネタバレしてはいけないのでひとつひとつのシーンは挙げられませんが、主人公や登場人物の本人はもとより、ご遺族が名誉権やプライバシー権を楯に、それこそ訴えようとすればできるんじゃないかというシーンが散見されます。


これが許されるかどうか。


ドラマ『地獄に堕ちるわよ』では、芸能関係者や暴力団などの反社会的勢力を取り上げるわけですから、おそらく今のテレビ局ではハレーションが怖くてそのまま放送できないのではないかと思います。


これに対して、Netflixは「放送」ではなく「配信」であり、放送法や電波法も関係ない。


ましてや損害賠償請求に対する賠償金も凌駕する資金力があります。


関係者や遺族の了解を取り付ける資金力もあれば、了解を取らずに賠償金覚悟でも配信出来てしまうバックボーンがあるのです。


スポーツではWBCの独占放映権でNetflixの威力を見せつけられましたが、今回は、ドラマの分野でも制約に捉われないで進む突き抜けた自由さを目の当りにさせられました。

【Netflix細木数子『地獄に堕ちるわよ』が突きつけたもの】

ハレーションを恐れない、聖域なき演出。


それは故人や遺族が赦すかどうか以上に、その判断は視聴者である私たちひとりひとりに直接、突き付けられているのではないか。


おそらくこれからも、タブーとされてきたテーマが続々映像化される可能性があります。


それを見る見ないも個人の自由だし、見たことで対象を好きになるか嫌いになるかも見た人の感性に委ねられていくということです。


Netflixは、今後さらに、「配信」としての自由さを武器に、ドラマに加えてジャーナリズムの分野にも力を入れて、国やそのガバナンスに支配されない、忖度しない、よき配信媒体になるのか、それとも・・・


占い師だった私の母は12年前に亡くなっていますが、細木数子氏に一目を置いていた占い師の母でさえも、テレビから消えた細木氏がまさか今になって配信で再び脚光を浴びることになるとは予見できなかったと思います。

 
 
 

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