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【追悼 フジテレビの同期が急逝】

  • 6 日前
  • 読了時間: 3分
米長晴信元参議院議員
米長晴信元参議院議員

逗子市長時代に1本の電話が入りました。


電話の主はフジテレビの同期の報道記者(当時、民主党キャップ)の米長晴信君でした。


「今度の神奈川県選挙区の参議院補選に民主党がお前を立てたいと言ってるけど、どうする?」という内容でした。


とりあえず、話は聞くよと彼に伝え、その夜には都内のホテルで当時の安住選対委員長と会って話を伺いましたが、最終的に辞退して逗子市長を続けました。


その後、安住さんのご機嫌を損ねないためにも、安住、米長、長島の3人で別の日に、都内で会食しました。


安住さんは、今度は米長が山梨で参議院選挙に出馬しないか水を向けるようになりました。

さすがに彼も最初は躊躇していました。


しかし、自分が彼に話したのは、「もし、160キロのボールを投げられたら、プロのマウンドに立ちたいと思うよね」

「俺たちは160キロの球を投げられないからプロのピッチャーにはなれないけど、記者で一線張れるならば政治家は務まるよ」といいました。


その後、とんとん拍子に話は進んで彼はフジテレビの記者をなげうって国会に進むことになりました。


そのときに彼に真意を聞いたところ

「長島はああ言ってたけど、自分の身に置き換えたときに、畑は違うけど参議院議員と、フジテレビの取締役と世の中のためにやれることは同じくらい価値があることだと思う。

自分はフジテレビに残って取締役になれる保証はないけど、今、自分が参議院議員になれるなら、そのチャンスを活かしたいと思ったから決断した」と彼は話していました。


お互いに、30代の若い頃の発想でしたが、そのときのウソ偽り無い、素直な気持ちだったと思います。


それから月日が経ち、普段は縁遠いフジテレビの同期が毎月のように60歳になり、定年退職を迎えた挨拶をCCメールで交わしています。


その中で米長君が近況あいさつで、「今、山梨県の顧問を務めて中東にプロモーションを行っていること。そして息子さんが医者になったこと」を楽しそうに綴っていました。


たった12日前のことです。


ニュースで彼の訃報を知り、ショックと驚きで別の同期にも電話してしまいましたが、還暦近くになるといつ召天されてもおかしくないということを再認識させられます。


いずれにしても、米長君とはお互いに希望しかない時期に接点を持ち、報道記者として、そして国会議員として一緒に仕事ができたこととその思い出を誇りに思っています。


どうか天国で安らかにお眠りください。


奥様をはじめご家族の方もどうぞご自愛ください。


合掌。 追記:通夜・告別式の日程情報。


通夜は、21日日曜日18時から、告別式は、22日の12時からで、いずれもジットセレモニー甲府ホール

 
 
 

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